呑川の支流(東調布公園の支流)
呑川が東京都目黒区で開渠になり、大田区に入ってからの流れには
様々な支流や湧水が合流している。
その1つに、大田区南雪谷5丁目の「東調布公園」からの支流がある。
諸先輩方が「蟹久保支流」「東調布支流」と呼んでいる流れである。
東調布公園は大田区立であり、貸自転車で信号や交差点をつかった
疑似道路交通体験ができる施設がある。
ゆえに近所では、「東調布交通公園」と呼んでいる人も年輩者に多い。

大田区南雪谷5-14の辺り。
呑川にかかる天神橋の下に合流口がある。ここから南西に溯ってみる。
少量ながら通常時も常に水が呑川に合流している。

写真:下流→上流
合流口上の道路(雪谷中学校横)には、雨水を落とすための口がある。
この中を覗くとストレートに流れは見えず、中には鳩が住んでいた。
おそらく、合流口から出入りしている鳩が、水の流れがない所に営巣を
しているのだと思われる。大量の雨水が入ってきた場合は避難か?
暗渠と思わしき歩道もあるが、そこは流れの跡(開渠跡)であり、
今はそこの下に暗渠はないようだ(開渠跡は下水道に転用されている)。

写真:下流→上流
雨水を落とす口は続いており、暗渠は東調布公園の中にあるようだ。

公園内には、このような大田区マークの側溝口は点在しているのだが、
どこが暗渠なのかわからない。遊歩道が公園を貫いている。

公園内には人工的な小川が作られていて、せせらぎを感じる事ができる。

小川は浅めにつくられており、子供たちが遊ぶのに丁度良くなっている。

この小川の最上流には水の湧き出す泉がつくられている。

湧水のように水が浸み出す人口の崖地もつくられている。

人工的につくられた小川から遊歩道を挟んだ向こうにも
人工的に小川がつくられている。こちらの小川は平坦な水堀風だ。
昭和30年代の地図でみると、この小川と横の歩道の辺りに開渠で
流れがあったようだ。静態保存の蒸気機関車D51が置かれている。

写真:下流→上流
公園の先に溯ると、コンクリート蓋の暗渠があった。
コンクリート蓋の隙間から覗くと、僅かではあるが水の流れが見える。

写真:下流→上流
アスファルト道路になっているが暗渠が続いている。

しかしながら、この辺の暗渠にあるのは「合流式下水道のマンホール」。
下水道に転用されているのか? だとすると、呑川合流口の流れは?

写真:下流→上流
大田区南雪谷5-25の辺り。
暗渠はさらに続いているが、マンホールは合流式下水道のものである。

写真中央がこの支流が流れている所。谷間になっていることがわかる。
写真左の公園が「蟹久保公園」(蟹窪公園)。昔はカニがいたのか?

写真:下流→上流
大田区南雪谷5-24の辺り。
暗渠は狭くなってさらに続いている。周囲の民家が雨水を落としている。

写真:下流→上流
崖地の谷間に暗渠がある。写真奥は階段となっていて標高が上がる。

この階段の所は標高が急に上がる場所ゆえか(?)湧水が出ている。
だが、この湧水は下水道に落とされているようだ。

写真:下流→上流
階段の先も暗渠が続いている。

写真:下流→上流
大田区北嶺町2-8の辺り。
先ほどよりは小さいが階段がある。この辺りにも湧水があるようだが、
最終的には雨水と共に合流式下水道に落とされているようだ。
ここまでしか暗渠は溯る事ができない。東調布公園支流の源流である。
だが、コンクリート蓋の暗渠辺りまでは湧水由来だと思われる流れが
見えていた。その先は合流式の下水道に転用されていると思われる。
では、呑川に合流している支流の流れはどこから来ているのか。
それを、東調布公園に戻って探索してみた。

東調布公園内の人工的につくられた小川にある「湧き出し泉」の先に
このようなポンプの機械が設置されていた。「流れ動力制御盤」とある。

その先の公園内遊歩道には、「湧水」「弁」と書いてあるマンホール。

さらにその先には、「湧水」と書いてあるマンホールをみつけた。

そのマンホールの上流には、先ほども紹介したコンクリート蓋の暗渠。
つまり、このコンクリート蓋の暗渠までは「湧水由来の水が流れており、
それをポンプで人工的につくられた小川」に流しているようである。
さらに、「その小川を流れた水は公園の端で暗渠になって雨水も混ぜ、
呑川に合流する」ということがわかった。
コンクリート蓋暗渠が終わる所から上流暗渠部は下水道転用されており、
僅かな湧水があるが下水道に落とされているようだ。
さらに調べたところ、この辺りには「水神の森」と呼ばれる鬱蒼とした
森があり、そこには湧水があって、その湧水と上流から流れてきた水が
東調布公園の辺りで合流して、呑川までの支流となっていたことがあると
大田区のホームページを見てわかった(地元の方の語り部調のサイト)。

この住所の場所に「水神の森」はあったらしいが、今は住宅地である。

この住所の辺りを歩いてみると、簡単にみつかった。
湧水溜りがあり、そこからコンクリート蓋の暗渠の方に水が流れている。

その先の住宅地と駐車場の間に側溝の開渠があり、湧水が流れている。
この辺りは丘から下った所になり、水神の森の中心だったようである。

コインパーキングの敷地内に湧水の開渠が続いている。水量は豊富だ。

コンクリート整備された崖地の隙間から、清冽なる湧水が出ている。
この湧水が、現在の「東調布公園支流の源流」である。

周囲では他にも湧水が見られる。これはすぐ近くにある別の湧水溜り。

湧水地帯に隣接する民家(大きなお屋敷)には、今も大きな森がある。
これは水神の森の名残? いずれにしろ今ある湧水はここが元だろう。

公園内には「雨水」を溜める枡もあるようで、そのマンホールもある。
この水を使って消防訓練を頻繁におこなっているようだが、
その一部は消火栓から小川にも流しているようだ。
(小川横には消火栓があり、その水は小川に流れるようになっている)。
現在の東調布公園の支流は「水神の森跡にある湧水→湧水集める→
コンクリート蓋の暗渠→公園内の湧水溜り→ポンプ→人口の小川→
暗渠→(雨水混じり)→呑川へ」という流れになっていると思われる。

呑川への合流口付近には「カルガモ」が多く見られる。
湧水が流れ込む清流のある所にはそれなりに鳥も集まってくるようだ。
かなり大きなお屋敷(民家)の森が水源地だと思われる湧水だった。
正直いって、「不安定要素」の上に存在しているといえる。
この水源をこれからも自然に対する意識から保持してほしいものだ。
様々な支流や湧水が合流している。
その1つに、大田区南雪谷5丁目の「東調布公園」からの支流がある。
諸先輩方が「蟹久保支流」「東調布支流」と呼んでいる流れである。
東調布公園は大田区立であり、貸自転車で信号や交差点をつかった
疑似道路交通体験ができる施設がある。
ゆえに近所では、「東調布交通公園」と呼んでいる人も年輩者に多い。

大田区南雪谷5-14の辺り。
呑川にかかる天神橋の下に合流口がある。ここから南西に溯ってみる。
少量ながら通常時も常に水が呑川に合流している。

写真:下流→上流
合流口上の道路(雪谷中学校横)には、雨水を落とすための口がある。
この中を覗くとストレートに流れは見えず、中には鳩が住んでいた。
おそらく、合流口から出入りしている鳩が、水の流れがない所に営巣を
しているのだと思われる。大量の雨水が入ってきた場合は避難か?
暗渠と思わしき歩道もあるが、そこは流れの跡(開渠跡)であり、
今はそこの下に暗渠はないようだ(開渠跡は下水道に転用されている)。

写真:下流→上流
雨水を落とす口は続いており、暗渠は東調布公園の中にあるようだ。

公園内には、このような大田区マークの側溝口は点在しているのだが、
どこが暗渠なのかわからない。遊歩道が公園を貫いている。

公園内には人工的な小川が作られていて、せせらぎを感じる事ができる。

小川は浅めにつくられており、子供たちが遊ぶのに丁度良くなっている。

この小川の最上流には水の湧き出す泉がつくられている。

湧水のように水が浸み出す人口の崖地もつくられている。

人工的につくられた小川から遊歩道を挟んだ向こうにも
人工的に小川がつくられている。こちらの小川は平坦な水堀風だ。
昭和30年代の地図でみると、この小川と横の歩道の辺りに開渠で
流れがあったようだ。静態保存の蒸気機関車D51が置かれている。

写真:下流→上流
公園の先に溯ると、コンクリート蓋の暗渠があった。
コンクリート蓋の隙間から覗くと、僅かではあるが水の流れが見える。

写真:下流→上流
アスファルト道路になっているが暗渠が続いている。

しかしながら、この辺の暗渠にあるのは「合流式下水道のマンホール」。
下水道に転用されているのか? だとすると、呑川合流口の流れは?

写真:下流→上流
大田区南雪谷5-25の辺り。
暗渠はさらに続いているが、マンホールは合流式下水道のものである。

写真中央がこの支流が流れている所。谷間になっていることがわかる。
写真左の公園が「蟹久保公園」(蟹窪公園)。昔はカニがいたのか?

写真:下流→上流
大田区南雪谷5-24の辺り。
暗渠は狭くなってさらに続いている。周囲の民家が雨水を落としている。

写真:下流→上流
崖地の谷間に暗渠がある。写真奥は階段となっていて標高が上がる。

この階段の所は標高が急に上がる場所ゆえか(?)湧水が出ている。
だが、この湧水は下水道に落とされているようだ。

写真:下流→上流
階段の先も暗渠が続いている。

写真:下流→上流
大田区北嶺町2-8の辺り。
先ほどよりは小さいが階段がある。この辺りにも湧水があるようだが、
最終的には雨水と共に合流式下水道に落とされているようだ。
ここまでしか暗渠は溯る事ができない。東調布公園支流の源流である。
だが、コンクリート蓋の暗渠辺りまでは湧水由来だと思われる流れが
見えていた。その先は合流式の下水道に転用されていると思われる。
では、呑川に合流している支流の流れはどこから来ているのか。
それを、東調布公園に戻って探索してみた。

東調布公園内の人工的につくられた小川にある「湧き出し泉」の先に
このようなポンプの機械が設置されていた。「流れ動力制御盤」とある。

その先の公園内遊歩道には、「湧水」「弁」と書いてあるマンホール。

さらにその先には、「湧水」と書いてあるマンホールをみつけた。

そのマンホールの上流には、先ほども紹介したコンクリート蓋の暗渠。
つまり、このコンクリート蓋の暗渠までは「湧水由来の水が流れており、
それをポンプで人工的につくられた小川」に流しているようである。
さらに、「その小川を流れた水は公園の端で暗渠になって雨水も混ぜ、
呑川に合流する」ということがわかった。
コンクリート蓋暗渠が終わる所から上流暗渠部は下水道転用されており、
僅かな湧水があるが下水道に落とされているようだ。
さらに調べたところ、この辺りには「水神の森」と呼ばれる鬱蒼とした
森があり、そこには湧水があって、その湧水と上流から流れてきた水が
東調布公園の辺りで合流して、呑川までの支流となっていたことがあると
大田区のホームページを見てわかった(地元の方の語り部調のサイト)。

この住所の場所に「水神の森」はあったらしいが、今は住宅地である。

この住所の辺りを歩いてみると、簡単にみつかった。
湧水溜りがあり、そこからコンクリート蓋の暗渠の方に水が流れている。

その先の住宅地と駐車場の間に側溝の開渠があり、湧水が流れている。
この辺りは丘から下った所になり、水神の森の中心だったようである。

コインパーキングの敷地内に湧水の開渠が続いている。水量は豊富だ。

コンクリート整備された崖地の隙間から、清冽なる湧水が出ている。
この湧水が、現在の「東調布公園支流の源流」である。

周囲では他にも湧水が見られる。これはすぐ近くにある別の湧水溜り。

湧水地帯に隣接する民家(大きなお屋敷)には、今も大きな森がある。
これは水神の森の名残? いずれにしろ今ある湧水はここが元だろう。

公園内には「雨水」を溜める枡もあるようで、そのマンホールもある。
この水を使って消防訓練を頻繁におこなっているようだが、
その一部は消火栓から小川にも流しているようだ。
(小川横には消火栓があり、その水は小川に流れるようになっている)。
現在の東調布公園の支流は「水神の森跡にある湧水→湧水集める→
コンクリート蓋の暗渠→公園内の湧水溜り→ポンプ→人口の小川→
暗渠→(雨水混じり)→呑川へ」という流れになっていると思われる。

呑川への合流口付近には「カルガモ」が多く見られる。
湧水が流れ込む清流のある所にはそれなりに鳥も集まってくるようだ。
かなり大きなお屋敷(民家)の森が水源地だと思われる湧水だった。
正直いって、「不安定要素」の上に存在しているといえる。
この水源をこれからも自然に対する意識から保持してほしいものだ。
呑川の支流(新幹線ガード下付近の湧水 2)
前回の記事でとりあげた呑川の「新幹線ガード下付近」に
もう1つ、湧水由来と思われるながれをみつけた。
それを探索したものを、記事にまとめてみた。

大田区久が原1-2の辺り。
呑川への合流口が3つ並んでいる。
3合流口は高さを違えて地下の配管がぶつからないようになっている。
写真右の四角い口は、新幹線の土手沿いに暗渠があるようで
そこを流れた水の合流口のようだが、長らく水が流れた形跡がない。
写真左の大きめで斜めになっている口からは、
通常時にはほとんど水が落ちていない。
この「斜め」の方向から予想すると、東調布公園の東南側か
公園と呑川の間の高級マンションが立ち並ぶ辺りに行きつく。
口自体も新しいことから、その辺りに降った雨水を流すための流れの
合流口だと思われる。公園や新しい高級マンションでは
「雨水をなるべく合流式下水道には流さずに河川に落とす」という策が
とられている所も増えてきている。その1つだと思われる。
真ん中の丸い口。ここからは通常時に少ないながらも水が落ちている。
この合流口を湧水と推定して南西方向に溯ってみる。

写真:下流→上流
溯るとはいっても、明確な暗渠があるわけではない。
マンホールから検討をつけてみるが、この辺りは合流式下水道や
雨水用の下水道、さらには湧水の暗渠が入り乱れているようで、
どのマンホールを辿って溯れば良いのかわからない状態だ。

大田区久が原1-9の辺り。
側溝を覗くと、湧水が溜まっているのをみつけた。
降雨の際には、この鉄格子にも水が流れ込むのだろうが、
すぐ隣にある同形の側溝鉄格子内とは、側溝内の「高さ」が違っており、
雨水用側溝と湧水用側溝を明確に分けてつくられていることがわかる。

この住所の辺りは丘が下る所である。
そして、この住所よりも丘上には「湧水用の側溝」は見当たらない。
この辺りに複数の湧水があると思われる。
この湧水が呑川まで配管で導水されて、水が落とされているようだ。
古くからある湧水の1つなのだろう。
水量は極めて少ないが、有効活用されていることは喜ばしいことだ。
もう1つ、湧水由来と思われるながれをみつけた。
それを探索したものを、記事にまとめてみた。

大田区久が原1-2の辺り。
呑川への合流口が3つ並んでいる。
3合流口は高さを違えて地下の配管がぶつからないようになっている。
写真右の四角い口は、新幹線の土手沿いに暗渠があるようで
そこを流れた水の合流口のようだが、長らく水が流れた形跡がない。
写真左の大きめで斜めになっている口からは、
通常時にはほとんど水が落ちていない。
この「斜め」の方向から予想すると、東調布公園の東南側か
公園と呑川の間の高級マンションが立ち並ぶ辺りに行きつく。
口自体も新しいことから、その辺りに降った雨水を流すための流れの
合流口だと思われる。公園や新しい高級マンションでは
「雨水をなるべく合流式下水道には流さずに河川に落とす」という策が
とられている所も増えてきている。その1つだと思われる。
真ん中の丸い口。ここからは通常時に少ないながらも水が落ちている。
この合流口を湧水と推定して南西方向に溯ってみる。

写真:下流→上流
溯るとはいっても、明確な暗渠があるわけではない。
マンホールから検討をつけてみるが、この辺りは合流式下水道や
雨水用の下水道、さらには湧水の暗渠が入り乱れているようで、
どのマンホールを辿って溯れば良いのかわからない状態だ。

大田区久が原1-9の辺り。
側溝を覗くと、湧水が溜まっているのをみつけた。
降雨の際には、この鉄格子にも水が流れ込むのだろうが、
すぐ隣にある同形の側溝鉄格子内とは、側溝内の「高さ」が違っており、
雨水用側溝と湧水用側溝を明確に分けてつくられていることがわかる。

この住所の辺りは丘が下る所である。
そして、この住所よりも丘上には「湧水用の側溝」は見当たらない。
この辺りに複数の湧水があると思われる。
この湧水が呑川まで配管で導水されて、水が落とされているようだ。
古くからある湧水の1つなのだろう。
水量は極めて少ないが、有効活用されていることは喜ばしいことだ。
呑川の支流(新幹線ガード下付近の湧水 1)
東京都大田区久が原付近の呑川には多くの湧水が流れ込んでいる。
今回は、「東京都大田区久が原1-2」の辺り
(新幹線・JR横須賀線と呑川がクロスする付近)で呑川に合流をする
湧水由来のながれを探索して記事にまとめてみた。

写真:呑川を下流→上流
この辺りの呑川では、川底からも湧水があるようで、
川底の一部をコンクリート整備をせずに土砂のままにしてあるようだ。
写真奥に見えるのが、東海道新幹線とJR横須賀線のガード。

その新幹線・JRのガードの真下に
バチャバチャと音をたてながら呑川に水を落としている小穴がある。
小穴ながら意外と水量は豊富。ここから溯ってみる。

大田区久が原1-12-11付近。
暗渠らしい暗渠がないので溯るのは困難ではあったが、
地図を見ながら歩き、この住所にある新幹線・JRガード下辺りに
流れがあると推測。写真中央にある側溝を覗くと湧水溜まりがある。
またしても暗渠らしい暗渠はないが、さらに上流へ溯ってみる。

この湧水はJRの敷地内(JRの土手の下)を流れているようである。
電車の騒音に対する緩衝のためかなのか(?)、民家との間には
このような空き地がとられている。ここで土中に浸み込んだ雨水も
湧水になって呑川に落とされているのかもしれない。

大田区久が原1-14の辺り。
新幹線・JRのガード下が「すり鉢状」の地形になっている。

JRが走っている土手のコンクリートの隙間からは湧水が出ている。
蒲田付近の呑川を探索した際にもあったが
(「呑川の支流(高濃度酸素溶解水とJR蒲田ガード下の湧水)」の記事)
電車が走っている土手は湧水地帯になっていることが多いようだ。

北西方向から「すり鉢」に向かう側溝を覗くと、湧水が流れている。

これは近隣民家のコンクリート整備された崖に取り付けられている管。
ここからも湧水が出ていて、「すり鉢」に向かっているようだ。

「すり鉢」(新幹線・JRのガード下)にある湧水溜り。ここが源流のようだ。
降雨時には雨水もここに集まってくるのだと思われる。
この「すり鉢」から北に行った所には、大田区立の「東調布公園」がある。
その園内には、西から流れてきた呑川の小さな支流があるという
(園内には、それの昔の姿を再現したと思われる親水路も作られている)。
この辺りは古くから湧水が多いのであろう。
もう1つ近くでみつけて探索した湧水は次回の記事にまとめたいと思う。
これらの湧水を呑川に落として有効活用するのは良いことである。
今回は、「東京都大田区久が原1-2」の辺り
(新幹線・JR横須賀線と呑川がクロスする付近)で呑川に合流をする
湧水由来のながれを探索して記事にまとめてみた。

写真:呑川を下流→上流
この辺りの呑川では、川底からも湧水があるようで、
川底の一部をコンクリート整備をせずに土砂のままにしてあるようだ。
写真奥に見えるのが、東海道新幹線とJR横須賀線のガード。

その新幹線・JRのガードの真下に
バチャバチャと音をたてながら呑川に水を落としている小穴がある。
小穴ながら意外と水量は豊富。ここから溯ってみる。

大田区久が原1-12-11付近。
暗渠らしい暗渠がないので溯るのは困難ではあったが、
地図を見ながら歩き、この住所にある新幹線・JRガード下辺りに
流れがあると推測。写真中央にある側溝を覗くと湧水溜まりがある。
またしても暗渠らしい暗渠はないが、さらに上流へ溯ってみる。

この湧水はJRの敷地内(JRの土手の下)を流れているようである。
電車の騒音に対する緩衝のためかなのか(?)、民家との間には
このような空き地がとられている。ここで土中に浸み込んだ雨水も
湧水になって呑川に落とされているのかもしれない。

大田区久が原1-14の辺り。
新幹線・JRのガード下が「すり鉢状」の地形になっている。

JRが走っている土手のコンクリートの隙間からは湧水が出ている。
蒲田付近の呑川を探索した際にもあったが
(「呑川の支流(高濃度酸素溶解水とJR蒲田ガード下の湧水)」の記事)
電車が走っている土手は湧水地帯になっていることが多いようだ。

北西方向から「すり鉢」に向かう側溝を覗くと、湧水が流れている。

これは近隣民家のコンクリート整備された崖に取り付けられている管。
ここからも湧水が出ていて、「すり鉢」に向かっているようだ。

「すり鉢」(新幹線・JRのガード下)にある湧水溜り。ここが源流のようだ。
降雨時には雨水もここに集まってくるのだと思われる。
この「すり鉢」から北に行った所には、大田区立の「東調布公園」がある。
その園内には、西から流れてきた呑川の小さな支流があるという
(園内には、それの昔の姿を再現したと思われる親水路も作られている)。
この辺りは古くから湧水が多いのであろう。
もう1つ近くでみつけて探索した湧水は次回の記事にまとめたいと思う。
これらの湧水を呑川に落として有効活用するのは良いことである。
呑川の支流(高濃度酸素溶解水とJRガード下の湧水)
城南三河川清流復活事業により
落合水再生センターで高度処理された再生水が導水されてからは
だいぶ綺麗になった呑川だが、干満影響をうける河口に近くなると
水のながれが滞留しやすく、低酸素状態で水質がよろしくない。
その改善のために、2011年に高濃度酸素溶解水の装置を設置。
まずは実験的にデータ取得をしていくようである。
また、この装置の周辺には湧水があって、呑川に落とされている。
その辺を記事にまとめてみた。

写真:下流→上流
JRのガード付近の呑川。橋の下は呑川がカーブしている所のため、
写真左の川壁辺りにはゴロタ石が設置されている。
大水の際に川の流れを弱めるためだと思われる。

JRのガード付近には、水質改善のために20年以上前から
舟型の浅層曝気(ばっき)装置が稼働している。
酸素を水中に送り込むことで、有機物分解する微生物の活動を促し、
水質浄化をするための装置である。一定の効果は出ているのだろう。

JRガードの少し上流側。
如何にものながれの滞留で水質が悪化している場所の呑川の水を
オレンジ色のパイプから吸引をしている。

呑川とJRの間にある公園に設置された高濃度酸素溶解水装置。
吸引した水に高濃度の酸素を溶かして呑川に戻しているようだ。
「高濃度」というぐらいなので、曝気よりも微生物の活性化に対し
効果的だと思われる。

ステンレスパイプから呑川に落とされているのが高濃度酸素溶解水。
まだ実験段階のためなのか(?)、水量は少ない。

写真:呑川を上流→下流
大田区西蒲田5-1の辺り。呑川の川壁上部にパイプが走っている。
このパイプ内にも高濃度酸素溶解水を通していて、
馬曳橋の辺りの川底からも流している。
写真ではわかりにくいが、川面に見える白い泡は酸素のようである。
高濃度酸素溶解水の費用対効果に関しては今後の推移を見守りたい。
自然の維持管理にはそれなりのお金がかかるものである。


JRガードの下には、自転車と歩行者だけが通ることができる通路が
川の両側に設置されている。

呑川の川面よりも低い位置にあるせいか湧水が出ている。
側溝には湧水が溜まり続けている。
降雨があれば、ここに雨水も集まってくると思われる。

JRが走行している所は土手状になっており、
そこに降った雨が土に浸みこんで、湧水としてコンクリの割れ目から
浸み出してもくるようだ。写真ではうまく撮影できなかったのだが、
この湧水のある割れ目には、ケフサイソガニと思われるカニがいた。
これらの湧水も側溝に集まり溜まっていく。

この大田区マークのついたマンホールの中に湧水を集めるようだ。

通路の近くにポンプの機械が設置されている。

数十分毎にポンプが稼働して、溜まった湧水を呑川に落としている。
8枚前の写真で、高濃度酸素溶解水を落としているパイプの右にも
同様の湧水落とし用パイプがある。それは対岸側のものである。
湧水のあるような所が周辺に多い呑川も、
池上本門寺辺りを過ぎてからは平地を流れているので
合流する支流も湧水も一気に無くなってしまう。
水量は少ないが、そんな中でも貴重なる湧水の注ぎ込みだといえる。
落合水再生センターで高度処理された再生水が導水されてからは
だいぶ綺麗になった呑川だが、干満影響をうける河口に近くなると
水のながれが滞留しやすく、低酸素状態で水質がよろしくない。
その改善のために、2011年に高濃度酸素溶解水の装置を設置。
まずは実験的にデータ取得をしていくようである。
また、この装置の周辺には湧水があって、呑川に落とされている。
その辺を記事にまとめてみた。

写真:下流→上流
JRのガード付近の呑川。橋の下は呑川がカーブしている所のため、
写真左の川壁辺りにはゴロタ石が設置されている。
大水の際に川の流れを弱めるためだと思われる。

JRのガード付近には、水質改善のために20年以上前から
舟型の浅層曝気(ばっき)装置が稼働している。
酸素を水中に送り込むことで、有機物分解する微生物の活動を促し、
水質浄化をするための装置である。一定の効果は出ているのだろう。

JRガードの少し上流側。
如何にものながれの滞留で水質が悪化している場所の呑川の水を
オレンジ色のパイプから吸引をしている。

呑川とJRの間にある公園に設置された高濃度酸素溶解水装置。
吸引した水に高濃度の酸素を溶かして呑川に戻しているようだ。
「高濃度」というぐらいなので、曝気よりも微生物の活性化に対し
効果的だと思われる。

ステンレスパイプから呑川に落とされているのが高濃度酸素溶解水。
まだ実験段階のためなのか(?)、水量は少ない。

写真:呑川を上流→下流
大田区西蒲田5-1の辺り。呑川の川壁上部にパイプが走っている。
このパイプ内にも高濃度酸素溶解水を通していて、
馬曳橋の辺りの川底からも流している。
写真ではわかりにくいが、川面に見える白い泡は酸素のようである。
高濃度酸素溶解水の費用対効果に関しては今後の推移を見守りたい。
自然の維持管理にはそれなりのお金がかかるものである。


JRガードの下には、自転車と歩行者だけが通ることができる通路が
川の両側に設置されている。

呑川の川面よりも低い位置にあるせいか湧水が出ている。
側溝には湧水が溜まり続けている。
降雨があれば、ここに雨水も集まってくると思われる。

JRが走行している所は土手状になっており、
そこに降った雨が土に浸みこんで、湧水としてコンクリの割れ目から
浸み出してもくるようだ。写真ではうまく撮影できなかったのだが、
この湧水のある割れ目には、ケフサイソガニと思われるカニがいた。
これらの湧水も側溝に集まり溜まっていく。

この大田区マークのついたマンホールの中に湧水を集めるようだ。

通路の近くにポンプの機械が設置されている。

数十分毎にポンプが稼働して、溜まった湧水を呑川に落としている。
8枚前の写真で、高濃度酸素溶解水を落としているパイプの右にも
同様の湧水落とし用パイプがある。それは対岸側のものである。
湧水のあるような所が周辺に多い呑川も、
池上本門寺辺りを過ぎてからは平地を流れているので
合流する支流も湧水も一気に無くなってしまう。
水量は少ないが、そんな中でも貴重なる湧水の注ぎ込みだといえる。
呑川の支流(養源寺の湧水など)
東京都大田区池上1-31辺りの「呑川」に合流口が開いている。
養源寺橋のたもと辺りにある口であり水の音がしている。
この水がどこから来ているのか合流口から探索をしてみた。

これが合流口。比較的大きな口である。水音が土管内に響いている。
その上には暗渠らしきものが見当たらない。
しかしながら耳を澄ましてみると、水の流れのような音が聞こえてくる。

水音は、この養源寺の中から聞こえてくる。写真は養源寺の山門。
東京都大田区池上1丁目31-1にある本門寺の塔頭・養源寺。
松江藩の支藩・母里藩1万石の藩主である松平隆政の母の願いから
ここに移転して開山した寺院である。松平隆政は徳川家康の曾孫
(徳川家康-二男・結城秀康-三男・松平直政-三男・松平隆政)。
八代将軍・徳川吉宗が鷹狩りの際に御膳所になった寺だそうだ。

養源寺の中には池があった。
池の中では「メダカの学校」が開かれており、澄んだ水があった。

その池から溢れた水が人工の小川を流れていた。水量は少ない。

写真ではわかりにくが、小川を流れた水がここに溜まっている。
この小川を流れた水が呑川に落とされているのであろう。

養源寺の裏手はこのような崖地である。
コンクリート整備された部分は墓地になっているが、
霊山として自然のままになっている所も多く湧水がありそうな場所だ。

養源寺横にある階段歩道。この寺は丘を下った所にある事がわかる。

写真ではわかりにくいが、湧水が溜まっている所が墓地の下にあった。
この湧水が池に導水されて小川を流れ、土管の中に落とされて
呑川に流れるのだと思われる。鉄格子の中に導水管らしきものがみえる。
また、寺域にはこの他にも湧水溜まりがある。

2枚前の写真にある階段歩道を昇ると、池上のタウンスケイプがある。
この寺の丘上や周囲は住宅街となっている。
通常時に合流口に落ちるのは養源寺の湧水なのだろうが、
大雨の際には、下水道からオーバーフローされた未処理水
もしくは、大量の雨水がこの合流口から放流されていると思われる。
丘上の住宅街の先は本門寺の寺域につながっている。

この合流口がある辺りの呑川は、川壁に緑のカーテンが作られている。
地球温暖化対策の一環であろう。

大量のカメが甲羅干しをしていた。両掌サイズの長生きなカメもいる。

サギもいる。小魚やザリガニをとっていた。自然が戻っている証だ。
この辺りは本門寺の丘の南東側終点である。
今回記事にした養源寺湧水だけでなく、他にも湧水があると思われる。
養源寺橋のたもと辺りにある口であり水の音がしている。
この水がどこから来ているのか合流口から探索をしてみた。

これが合流口。比較的大きな口である。水音が土管内に響いている。
その上には暗渠らしきものが見当たらない。
しかしながら耳を澄ましてみると、水の流れのような音が聞こえてくる。

水音は、この養源寺の中から聞こえてくる。写真は養源寺の山門。
東京都大田区池上1丁目31-1にある本門寺の塔頭・養源寺。
松江藩の支藩・母里藩1万石の藩主である松平隆政の母の願いから
ここに移転して開山した寺院である。松平隆政は徳川家康の曾孫
(徳川家康-二男・結城秀康-三男・松平直政-三男・松平隆政)。
八代将軍・徳川吉宗が鷹狩りの際に御膳所になった寺だそうだ。

養源寺の中には池があった。
池の中では「メダカの学校」が開かれており、澄んだ水があった。

その池から溢れた水が人工の小川を流れていた。水量は少ない。

写真ではわかりにくが、小川を流れた水がここに溜まっている。
この小川を流れた水が呑川に落とされているのであろう。

養源寺の裏手はこのような崖地である。
コンクリート整備された部分は墓地になっているが、
霊山として自然のままになっている所も多く湧水がありそうな場所だ。

養源寺横にある階段歩道。この寺は丘を下った所にある事がわかる。

写真ではわかりにくいが、湧水が溜まっている所が墓地の下にあった。
この湧水が池に導水されて小川を流れ、土管の中に落とされて
呑川に流れるのだと思われる。鉄格子の中に導水管らしきものがみえる。
また、寺域にはこの他にも湧水溜まりがある。

2枚前の写真にある階段歩道を昇ると、池上のタウンスケイプがある。
この寺の丘上や周囲は住宅街となっている。
通常時に合流口に落ちるのは養源寺の湧水なのだろうが、
大雨の際には、下水道からオーバーフローされた未処理水
もしくは、大量の雨水がこの合流口から放流されていると思われる。
丘上の住宅街の先は本門寺の寺域につながっている。

この合流口がある辺りの呑川は、川壁に緑のカーテンが作られている。
地球温暖化対策の一環であろう。

大量のカメが甲羅干しをしていた。両掌サイズの長生きなカメもいる。

サギもいる。小魚やザリガニをとっていた。自然が戻っている証だ。
この辺りは本門寺の丘の南東側終点である。
今回記事にした養源寺湧水だけでなく、他にも湧水があると思われる。