鶴見川の支流(新羽町・新吉田町せせらぎ緑道 2)
前回記事にした「新羽町・新吉田町せせらぎ緑道」。
そのせせらぎの横は下には「雨水幹線」が暗渠としてある。
その雨水幹線が往時には「小川」だったのだが、
上流にはその痕跡ともいえる開渠があり、水が流れている。
それを源流まで辿ってみた。

「新羽町・新吉田町せせらぎ緑道」にある人工のせせらぎ。
その横にある歩道の下には雨水幹線がある。
ここにも通常時に小川として水が流れており、
最終的には鶴見川に注ぎ込まれている。

写真:下流→上流
前回記事にした「せせらぎの源流」辺りの道路。
この道の下に雨水幹線があるようだ。

雨水幹線のマンホールがある。

横浜市港北区新羽町4440の辺り。
ここで左に曲がった先に暗渠があった。
ガードレールと壁の間が暗渠となっている。
大雨時には暗渠から水が溢れることがあるのか?
土のうが置かれている。

写真:下流→上流
その奥は如何にも暗渠の様相である。ここにも土のうが有り、
緑道が整備される最近まで開渠があったのかもしれない。

写真:下流→上流
その上流は、歩道の下に暗渠があるようだ。

写真:下流→上流
右に曲がった先に開渠が姿を現す。
この開渠はヤフーの地図などにも載っている。

土を含んで濁った水が流れているようだ。

写真:下流→上流
民家と畑の間に細い開渠がある。

写真:上流→下流
1枚前の写真から回り込んだ所。
農業用水路といった趣のコンクリート整備された開渠である。

民家専用の橋がかけられている。

写真:下流→上流
崖地の際を流れていることがわかる。

写真:上流→下流
横浜市港北区新羽町4359の辺り。
上流に回り込んだ場所だが、水量には変化はみられない。

横浜市港北区新羽町4353の辺り。
ここが開渠の上流端になる。トンネルから水が出てきている。

上流端の付近はコンクリートで整備された崖になっている。

写真:下流→上流
横浜市港北区新羽町4365の辺り。
コンクリート整備の崖に沿っている道路下に暗渠があるようだ。

写真:下流→上流
崖に沿っている側溝に水の流れをみつけた。

写真:下流→上流
新羽町の畑が多くある所に源流があるようだ。

畑の際にある側溝内に湧水があった。これが源流である。
おそらくは、せせらぎ緑道として整備される以前は
ここが源流となって、現存する開渠を流れ、
緑道のある場所を流れていた細い開渠となる小川だったと
思われる。緑道整備から取り残されるように現存した川は
畑に降る雨からの湧水に支えられているのだろう。
そのせせらぎの横は下には「雨水幹線」が暗渠としてある。
その雨水幹線が往時には「小川」だったのだが、
上流にはその痕跡ともいえる開渠があり、水が流れている。
それを源流まで辿ってみた。

「新羽町・新吉田町せせらぎ緑道」にある人工のせせらぎ。
その横にある歩道の下には雨水幹線がある。
ここにも通常時に小川として水が流れており、
最終的には鶴見川に注ぎ込まれている。

写真:下流→上流
前回記事にした「せせらぎの源流」辺りの道路。
この道の下に雨水幹線があるようだ。

雨水幹線のマンホールがある。

横浜市港北区新羽町4440の辺り。
ここで左に曲がった先に暗渠があった。
ガードレールと壁の間が暗渠となっている。
大雨時には暗渠から水が溢れることがあるのか?
土のうが置かれている。

写真:下流→上流
その奥は如何にも暗渠の様相である。ここにも土のうが有り、
緑道が整備される最近まで開渠があったのかもしれない。

写真:下流→上流
その上流は、歩道の下に暗渠があるようだ。

写真:下流→上流
右に曲がった先に開渠が姿を現す。
この開渠はヤフーの地図などにも載っている。

土を含んで濁った水が流れているようだ。

写真:下流→上流
民家と畑の間に細い開渠がある。

写真:上流→下流
1枚前の写真から回り込んだ所。
農業用水路といった趣のコンクリート整備された開渠である。

民家専用の橋がかけられている。

写真:下流→上流
崖地の際を流れていることがわかる。

写真:上流→下流
横浜市港北区新羽町4359の辺り。
上流に回り込んだ場所だが、水量には変化はみられない。

横浜市港北区新羽町4353の辺り。
ここが開渠の上流端になる。トンネルから水が出てきている。

上流端の付近はコンクリートで整備された崖になっている。

写真:下流→上流
横浜市港北区新羽町4365の辺り。
コンクリート整備の崖に沿っている道路下に暗渠があるようだ。

写真:下流→上流
崖に沿っている側溝に水の流れをみつけた。

写真:下流→上流
新羽町の畑が多くある所に源流があるようだ。

畑の際にある側溝内に湧水があった。これが源流である。
おそらくは、せせらぎ緑道として整備される以前は
ここが源流となって、現存する開渠を流れ、
緑道のある場所を流れていた細い開渠となる小川だったと
思われる。緑道整備から取り残されるように現存した川は
畑に降る雨からの湧水に支えられているのだろう。
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