目黒川の小さな支流・元支流(桐ケ谷川~羅漢寺川の間)
前回の記事「目黒川の支流(桐ケ谷川か?)」の最後に記載したが、
品川区西五反田~目黒区下目黒の目黒川近くに湧水があったようである。
昭和10年の「目黒區全図」や、大正11年の「帝都地形図」をみると、
この辺りには「釣り堀」を営業していた湧水を由来とする池があったらしく、
井戸水を利用したと思われる「こんにゃく屋 や 豆腐屋」があったことを
目黒区に長らく住んでいる方から聞いた。
実際に歩いてみると、
前回記事の桐ケ谷川(と推測した)~羅漢寺川(目黒川の支流)の辺りには、
暗渠と思われる細い通りが多数みつかった。
住所でいうと、品川区西五反田3-13から目黒区下目黒2-3辺りになる。

暗渠①-①
品川区西五反田3-16辺りの目黒川に合流口がある。
通常時は水が流れていないようだ。
※目黒川の水面に浮かんでいるのは桜の花びら

暗渠①-②
写真:下流→上流
その上には、マンション脇の歩道がある。ここには水路があったことを聞いた。
この通りは、山手通りを突き抜けた先まで続いているが、
その先には暗渠らしきものがみあたらなかった。

暗渠②-①
写真:下流→上流
品川区西五反田3-16 と 目黒区下目黒2-12の境に暗渠らしき通りがある。
この通りも、山手通りを突き抜けて先まで続いている。

暗渠②-②
写真:下流→上流
これがその先の暗渠。さらなる先には目黒不動があり、羅漢寺川が流れている。
等高線からみても、大昔は羅漢寺川の分流の1つだったのかもしれない。
細い暗渠はブラインドになりやすく、不法投棄の場とされてしまうことがある。
リサイクル可能な物と元の小川がこのようにされてしまい痛々しい光景である
(家電製品は家電リサイクル法に沿った処分が義務づけられている)。

暗渠③-①
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-11にも、曲がりくねった暗渠がある。

暗渠③-②
写真:下流→上流
この暗渠は曲がりくねってさらに続く。
その先には、現在「目黒区立下目黒自転車集積所」となっている場所がある。
この辺りに池があり、「目黒園」という名前の釣り堀があったようだ。
また、周辺も沼地があり、昭和20年代まで沼だったという話を聞く事ができた。

暗渠④-①
写真:下流→上流
暗渠③のすぐ北側隣りには、コンクリート蓋の側溝になっている暗渠がある。
中を覗くと水はあるが、流れでるほどの量はないようだ。
この下流の一部は民家の敷地内にあるようだ。

暗渠④-②
写真:下流→上流
その先は、未舗装路にマンホール連続の暗渠が続く。

暗渠④-③
写真:下流→上流
暗渠が続く。この辺りは、小川を跨いでいた頃が昭和30年代まであったそうだ。
この奥は、自転車集積所になっている。つまり、池沼があった場所ということ。

暗渠④-④
途中に、あまり綺麗な水ではないが、水が溜まっている蓋無しの側溝があった。
クーラーホースの排水用になっているようだが、この辺りに井戸水を利用していた
豆腐屋さんがあったと聞く。クーラーの季節でもないのに水が溜まっている事から
僅かながらの湧水は今でもあると予想される。

暗渠⑤
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-9の辺り。
不自然に広い歩道と連続するマンホールからこれも暗渠。
以前、このアスファルトが陥没した際に、中に水の流れが見えたらしく、
それは下水ではなく、湧水のような綺麗な水だったという話を聞いた。

暗渠⑥-①
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-7にも水路があったと聞いた。
マンホールが連続してあることから、通りの写真左側が暗渠のようである。

暗渠⑥-②
写真:下流→上流
その先には、コンクリート蓋の側溝の暗渠が続いている。覗くと水がみえる。

暗渠⑥-③
写真:下流→上流
さらに先は、このように民家の中に入っていく。
この先には羅漢寺川があるため、この暗渠は羅漢寺川の分流の1つだったと思われる。
マンホールの並びから下目黒2-23-12の辺りで分流していたのだと推測される。

羅漢寺川の名前の由来になっているのが近隣になる五百羅漢寺。

これが羅漢寺川が目黒川に合流する口である。目黒区下目黒2-3の辺りにある。
写真ではわかりにくいが、常に水が目黒川に落ちている。
暗渠①以外は、目黒川に水は落とされておらず(おそらく下水道に流されている)、
現在は水はあるものの流れ出すほどの水量にはなっていない暗渠ばかりだったが、
この辺りには、湧水を活用した文化があった証を発見することができた。
そのような所は、23区内にも昭和30年代までは、多くあったのかもしれない。
都市化によって消え去った湧水と文化だが、目黒川は花見の名所となっている。

花見の季節には、このような遊覧船が遡ってくるようになった。
雨の後には、オイルボールが浮かぶこともあるものだが、
それでも目黒川が綺麗になった証だといえる。
品川区西五反田~目黒区下目黒の目黒川近くに湧水があったようである。
昭和10年の「目黒區全図」や、大正11年の「帝都地形図」をみると、
この辺りには「釣り堀」を営業していた湧水を由来とする池があったらしく、
井戸水を利用したと思われる「こんにゃく屋 や 豆腐屋」があったことを
目黒区に長らく住んでいる方から聞いた。
実際に歩いてみると、
前回記事の桐ケ谷川(と推測した)~羅漢寺川(目黒川の支流)の辺りには、
暗渠と思われる細い通りが多数みつかった。
住所でいうと、品川区西五反田3-13から目黒区下目黒2-3辺りになる。

暗渠①-①
品川区西五反田3-16辺りの目黒川に合流口がある。
通常時は水が流れていないようだ。
※目黒川の水面に浮かんでいるのは桜の花びら

暗渠①-②
写真:下流→上流
その上には、マンション脇の歩道がある。ここには水路があったことを聞いた。
この通りは、山手通りを突き抜けた先まで続いているが、
その先には暗渠らしきものがみあたらなかった。

暗渠②-①
写真:下流→上流
品川区西五反田3-16 と 目黒区下目黒2-12の境に暗渠らしき通りがある。
この通りも、山手通りを突き抜けて先まで続いている。

暗渠②-②
写真:下流→上流
これがその先の暗渠。さらなる先には目黒不動があり、羅漢寺川が流れている。
等高線からみても、大昔は羅漢寺川の分流の1つだったのかもしれない。
細い暗渠はブラインドになりやすく、不法投棄の場とされてしまうことがある。
リサイクル可能な物と元の小川がこのようにされてしまい痛々しい光景である
(家電製品は家電リサイクル法に沿った処分が義務づけられている)。

暗渠③-①
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-11にも、曲がりくねった暗渠がある。

暗渠③-②
写真:下流→上流
この暗渠は曲がりくねってさらに続く。
その先には、現在「目黒区立下目黒自転車集積所」となっている場所がある。
この辺りに池があり、「目黒園」という名前の釣り堀があったようだ。
また、周辺も沼地があり、昭和20年代まで沼だったという話を聞く事ができた。

暗渠④-①
写真:下流→上流
暗渠③のすぐ北側隣りには、コンクリート蓋の側溝になっている暗渠がある。
中を覗くと水はあるが、流れでるほどの量はないようだ。
この下流の一部は民家の敷地内にあるようだ。

暗渠④-②
写真:下流→上流
その先は、未舗装路にマンホール連続の暗渠が続く。

暗渠④-③
写真:下流→上流
暗渠が続く。この辺りは、小川を跨いでいた頃が昭和30年代まであったそうだ。
この奥は、自転車集積所になっている。つまり、池沼があった場所ということ。

暗渠④-④
途中に、あまり綺麗な水ではないが、水が溜まっている蓋無しの側溝があった。
クーラーホースの排水用になっているようだが、この辺りに井戸水を利用していた
豆腐屋さんがあったと聞く。クーラーの季節でもないのに水が溜まっている事から
僅かながらの湧水は今でもあると予想される。

暗渠⑤
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-9の辺り。
不自然に広い歩道と連続するマンホールからこれも暗渠。
以前、このアスファルトが陥没した際に、中に水の流れが見えたらしく、
それは下水ではなく、湧水のような綺麗な水だったという話を聞いた。

暗渠⑥-①
写真:下流→上流
目黒区下目黒2-7にも水路があったと聞いた。
マンホールが連続してあることから、通りの写真左側が暗渠のようである。

暗渠⑥-②
写真:下流→上流
その先には、コンクリート蓋の側溝の暗渠が続いている。覗くと水がみえる。

暗渠⑥-③
写真:下流→上流
さらに先は、このように民家の中に入っていく。
この先には羅漢寺川があるため、この暗渠は羅漢寺川の分流の1つだったと思われる。
マンホールの並びから下目黒2-23-12の辺りで分流していたのだと推測される。

羅漢寺川の名前の由来になっているのが近隣になる五百羅漢寺。

これが羅漢寺川が目黒川に合流する口である。目黒区下目黒2-3の辺りにある。
写真ではわかりにくいが、常に水が目黒川に落ちている。
暗渠①以外は、目黒川に水は落とされておらず(おそらく下水道に流されている)、
現在は水はあるものの流れ出すほどの水量にはなっていない暗渠ばかりだったが、
この辺りには、湧水を活用した文化があった証を発見することができた。
そのような所は、23区内にも昭和30年代までは、多くあったのかもしれない。
都市化によって消え去った湧水と文化だが、目黒川は花見の名所となっている。

花見の季節には、このような遊覧船が遡ってくるようになった。
雨の後には、オイルボールが浮かぶこともあるものだが、
それでも目黒川が綺麗になった証だといえる。